やはりアートは体力がものをいう

5月13日
かつてロータリー財団というところから奨学金をもらってリヨンに留学していたのが、そのときの世話人をしてくれていたおじさんの娘さんロールに再会する。リヨンの国立演劇学校で舞台美術と建築を学んでいた彼女、歳も近いのでリヨン時代はよく一緒に芝居を見に行ったりしていたのだが、今や一人前の舞台美術家となり、ローザンヌのTheatre Vidy やナンテールのTheatre Amandiers との共同製作で新作も発表する若手演出家Jean-Yves Rufの美術を手がけている。すごいなあ。 そもそも舞台美術家という職業で生計を立てていること自体が偉い。フランス特有のIntermittant de Spectacle Vivant (フリーの舞台関係者に対する特別社会保障制度)として、最低限の生活は保障されているのである。もちろんその制度の乱用が社会問題となり改革を断行しようとした政府に反対してストライキが激化、夏のフェスティバルが総じてキャンセルされたのは2003年のことだが。
それから2月にリヨン・横浜会議の際に出会った作曲家ニコラ・フリーズ氏と昼食を。彼は2004年のニュイ・ブランシュ(2004年10月2日のブログ参照)のアートディレクターも努め、公共スペースから工場、刑務所まで音楽と社会を横断するプロジェクトを展開する、筆者が心より崇拝する音楽家である。
夜、Mains d’Oeuvres というパリ郊外のアートスペースへ。蚤の市で有名なクリニャンクールがあるサントゥーアン市に位置し、パリの北部郊外のこの辺りはお世辞にも安全快適な地域ではない。そこに打ち捨てられていたかつてのレクリレーション施設をほとんどリノベせずにアートセンター&レジデンスとして使用している。そのアングラ感というか、「ありもので頑張ってます」感は我らがにしすがも創造舎にも通ずるものが多々あり来る度に妙な親近感を覚えてしまうのだ・・・パフォーマンスの会場もいわゆる体育館だし。冬に来ると暗くて寒いし。ちなみにMains d’Oeuvres とは直訳すると「労働力」という意味になる。
現在ここにレジデント中のイスラエルの若手振付家Haim Adri の新作BACK UP を観る。1時間のダンスと1時間のビデオ作品がセットになっており、そこではかなり正面からイスラエル・パレスチナ問題が扱われている。舞台上では若者4人がそれぞれ抱えるラジカセからヘブライ語とアラビア語のニュースや音楽が無造作に流れ、それがだんだん銃声のエコーへと変わっていくところからパフォーマンスは始まる。ずっとラジカセを抱えたまま舞台の端をぐるぐるとのたうち回る男性、卵らしき白い円い物体で自らのテリトリーをつくりその中を延々と回り続ける女性・・・しかし、いよいよこれからというところで、なんと筆者は風邪による咳が発作的に止まらなくなり敢え無く会場から自主退場。やはり健康でなければ観劇は拷問に近い行為であることを始めて実感した。芝居を観にいける人は、身体的にも恵まれた人なのだ。普段とても健康な自分は芝居を見ていて肉体的に辛い思いをしたことがなかったので、芝居に行くという行為にこんなハードルがあるということを思い知られてちょっとショックだった。1時間、2時間、物音を立てずに極めて至近距離にいる周りの観客に不快感を与えずにじっとそこに座っていることは、結構大変なことなのだ。結局全体像を把握できないまま舞台は終わってしまい、とても残念。
22時過ぎ、パリ在住のアーティスト遠藤拓己さんのインスタレーションのベルニサージュへ。筆者がかつて住み込み(!)で働いていたCICVというメディアアートセンター&アーティスト・イン・レジデンスに滞在されて以来、パリを拠点に活動している。展示スペースはCite des Universitaires (世界各国の学生寮が集結している一大学生施設)のスペイン館の一室(ちょっとハリポタ風でおどろおどろしい)。2004年12月にリヨンのFetes des Lumieres 光の祭典で Hotel Dieux という古い病院施設の中庭用に創作された作品の改定バージョンである。無数の瓶の中にほのかな青い光が浮かぶとても静謐な作品。同じ空間にいるはずの観客さえも全く見えないほどの弱弱しいが美しい光を無数に見る心地よさ。
その後、日本から駆けつけたREの方々と一緒に遠藤さんのお住まいであるイギリス館のフラットにお邪魔し皆で乾杯し、楽しいひと時を過ごすはずが、咳と終電のためそそくさと失礼させて頂きました。うーん、やっぱりアートは体力がものをいう。鍛えねば。
by smacks | 2005-05-13 23:21 | ■フランス滞在&もろもろ