日仏都市会議-横浜・リヨン

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↑1999年冬のリヨンで撮影(当時はデジカメを持っていなかったので一眼レフで撮ったものをスキャニングしている。画質がいい)。えらく昔だな~と思いつつ、今日は朝から横浜へ。「都市をつなぐ 文化をつくる-日仏都市会議-横浜・リヨン」というシンポジウムに参加する。横浜・リヨンの姉妹都市提携45年記念とNIRA(総合研究開発機構)創設50周年などを記念した2日間にわたるシンポジウム。

平日、しかもフェスティバル前のこんな時期に横浜に行くのは一大事だが、何しろ本日の会議で基調講演&パネラーを務めるリヨン副市長バスカル・ボニエル・シャリエさんは、筆者のスーパー恩師(とてもお世話になった先生、の意)。彼女は2001年まで、リヨン第二大学とARSEC(公立文化シンクタンクのような機関)が共同運営するDESSコース(その後制度改革があって現在はマスターコースと呼ばれている)「文化開発とプロジェクト・マネジメント」の、ディレクターだった。非常に平たく言うと、アートマネジメントと文化政策を学ぶ専門コースのコーディネーターであり、傍ら自身もシンクタンク的な立場で様々な文化振興事業に携わっていた、という女性。3児の母。まだ40代前半。で、4年前、左派ジェラール・コロンが市長に当選したとき、2人いる文化担当ブレーンの一人として、20人ちかくいる副市長の一人として抜擢された。文化の専門家がちゃんと政権の中枢にたどり着き政策を実行できる仕組みが、そこにはある。

会議には、主催者であるNIRAや横浜市の人々など大勢が詰め掛けていた。そして颯爽と登場する中田・横浜市長。姉妹都市であるリヨンのコロン市長からもらったという赤いネクタイをうれしそ~に自慢しつつ横浜の「クリエイティブ・シティ構想」を原稿を読まずに語ったスピーチが印象的。なかでもBankARTは市長のお気に入りのプロジェクトらしい。

会議そのものは、まあ日本のシンポジウムにありがちな、非常に予定調和的、というか予定どうりの原稿が読まれていた。そして一言率直な感想を述べるなら、やはり議論の前提がずれていて、議論になっていない、ということ。「創造性」という言葉ひとつをとっても、両者が意味するものがあまりに違いすぎる。まあ、あんまり考えると哀しくなるのでこれ以上は深追いせず。やはり、どんな理念も実践とその成果なしには説得力がない。(だいたい自分がやったわけでもないのに、いまどきビルバオの美術館を芸術による都市開発の例としてあげる日本の大学教授とかって、いったい・・・・何?)その点で、フランスからの参加者によるプレゼンは、必ず理念を具体化し例証するものとして、本人やそのチームが発案・実施したプロジェクトが紹介されるので、抜群の説得力があった。Fete des Lumieres(光の祭典)などリヨンの名物行事も懐かしかった。

結局、パスカルやその仲間たちに促されるままレセプションまで参加し、横浜市の職員の皆さんとも親睦を深めさせて頂きました。いまやANJは横浜でも有名NPOですし!
by smacks | 2005-02-07 23:21 | ■フランス滞在&もろもろ